2008年10月07日
やってはいけない使い方
トライアルマシンは、たいていの使い方が許容されている。岩の上から落とす、上下反対の状態で崖の上から駆け下りる、泥沼の中でエンジン全開にする等々。PL法とかの担当者がこんな現場を見たら卒倒するでしょうが、これがトライアルの現実だ。
しかしてこんな道具の使い方が許されている世の中は、トライアル以外にはちょっとない。こんな使い方をすると命の危険があるからやめなさいだのなんだのと、ややこしい説明書がずらずらとついてくる。トライアルって、本当に原始的な(そしてすばらしい)スポーツだと思う。
この原始的使い方の対極のほうにあるのが最新のIT機器だと思われるけど、申し訳ない、今日は、最新のIT機器をこんなふうに使って遊んでしまいましたというお話。
自然山通信は、いつもたいてい二人で行動している。杉谷がビデオカメラを持って、ニシマキがスチール(動かないやつ)カメラを持って取材する。全日本選手権も、世界選手権開幕戦もこのパターンで取材した。ところがなぜか、トライアル・デ・ナシオンは、ニシマキひとりがいくことが多い。どういうわけかわかんないけど、自然山通信的通例というやつだ。
ひとりでしかいかないと、ビデオカメラを持っていくかスチールカメラを持っていくか、どっちか悩む。今までは、たいていビデオカメラ優先だった。必要な何枚かだけ、コンパクトデジカメを使って撮影して、どうしても必要なのはイタリアのあの人やスペインのこの人やイギリスのあんな人にお願いして入手する。トライアルは日本も世界もすてきなムラ社会だから、こんなことが可能だ。
でも、せっかくいくんだから、やっぱり自分でも写真が撮りたい。それで、ソニーのビデオカメラの上にニコンを重ねてみた。カメラを2台並べて三脚に固定するためのプレートを買ってきて、こいつでニコンとソニーの上面にある三脚ねじを連結させた。なかなか不安定だけど、とにかくカメラは2台くっついた。
お目当てのライダーがセクションインしたら、ビデオのスイッチを入れる。ビデオのファインダーをのぞきながら、カメラのシャッターをときどき押す。あるいはカメラのファインダーをのぞいて撮影しつつ、お目当てのライダーをファインダーの真ん中に置き続けるように気をつける。そうすれば、ビデオとスチールの両方が撮影できる、はず。
でもそんなに簡単ではないのだな。スチールのファインダーをのぞいていると、撮影している人間のモードがスチールになる。シャッターを押した瞬間、仕事が終わった気になって、肉眼でライダーを見てしまう。すると、ビデオカメラからははずれてしまう。これは、ビデオだけ撮影していてもときどきあることで、ファインダーを見ているだけでは周囲の状況がわかんないから、きょろきょろと周りを見ながら撮影したりすることもある。で、ふとファインダーを見ると、画面になんにも入ってなくて、慌てたりする。あー、こんなふうに仕事の失敗談を日記に書くべきではなかった。自然山DVD見た人から「ふざけた仕事のしかたをするな」と怒られたらどうしよう。すいません。許してください。もうしません。いや、次はもっとうまくやります。世界一の二刀流になります。がんばります。
この、ニシマキの二刀流の撮影姿は、みんなから大好評だった……。好評、なのかゲテモノめと思っているのかはわかんないけど「すばらしいアイデアだ」とにっこり笑ってくれるお客さんもいた。世界選手権最終戦のスペイン大会では、地元のテレビ局が取材に来ていたんだけど(バルセロナTVとかそんなの)、夜のニュースにぼくが登場したらしい。なんて紹介されてたんだと聞いたら「日本の最新テクノロジー」と紹介されてたらしい。IT大国ニッポンでテクノロジーの研究者のみなさん、しょうもないものが最新テクノロジーになってしまって、申し訳ないです。ごめんなさい。あやまりっぱなしだなぁ。
写真は、翌週のトライアル・デ・ナシオンでの一こま。セクションには、各国の取材陣がぞろぞろ集まる。下見中なんかひまだもんだから、ぼくの二刀流を撮ろうとするヤツもいるわけだ。するってーと、イギリスのトライアルセントラルのアンディが、ビデオの上にくっつけられた日本の上に、自分のキヤノンを重ねてきた。シャッターを押そうとしたイタリアのモトクロス誌のプピィは、それで喜んで、隣のジェイク・ミラー(FIMのプレス事務局。ドギー・ランプキンのWEBサイトなんかも彼の仕事)にも、カメラを重ねるように指示しやがった。ジェイクは「こんなゲテモノやろーといっしょにされたくないなぁ」と苦笑いしながらお遊びにつきあってくれたという物語が、この写真には秘められているのだった。
この直後、ビデオカメラの持ち手が妙にぐらぐらするしているのが発覚。気をつけてはいたつもりなんだけど、1kgちょっとある(もっとか?)カメラにストロボをつけて振り回しているわけだから、持ち手にも想定外のストレスがかかって当然だった。折れたり割れたりしなきゃいいけどなぁと思いつつ、結局最後まで使い切ってしまった。ねじ回しがあれば増し締めできるんだけど、意外なことに、モータースポーツの現場では、めがねのねじを増し締めするような小さなサイズのドライバーは存在しない。だもんで、自分でドライバーを持って歩いていたこともあるんだけど、最近はコンピュータ関係で荷物が増えて、そういう道具の必要性をすっかり忘れていた。忘れていると、事件が起きることになっている。
最後まで2台のカメラ分の重さに耐えて、持ち手はちぎれずに日本に帰った。負担に耐えられなくなってねじ山が馬鹿になっていたらどうしようとびくびくしながら増し締めしたけど、よかった、閉めたら無事に元通りになりました。めでたしめでたし。
次は、もっとスマートに二刀流しようっと。
お次の禁じ手は、オークションでの衝動買いが発端。ニコン用フォクトレンダー・スーパーワイドへリア15mmF4.5ってレンズが3万円で落札できた。このレンズ、もう絶版になっているから、3万円なら買いかしらんという感じではあった。定価がいくらだったかは忘れたけど。
ところがこのレンズ、ふつうにつふるとミラーにレンズがあたっちゃう。なので、ミラーアップをしてじゃないと装着できない。ミラーをあげちゃうから、ファインダーにはなんにも見えない。ピントもわからない。ものすごく不便なレンズである。しかもさらに問題なのは、今使っているデジタル一眼レフには、ミラーアップ機構がついてない。
でもぼくは知っている。一眼レフのミラーは、指で持ち上げると、言いなりになって持ち上がる。これは、中学生のときに初めて一眼レフカメラを手にしたとき、ほとんど最初にやってみたことだ。以来、歴代のぼくの一眼レフは、みんなミラーをそーっと持ち上げられているけど、どのカメラも、例外なくミラーは指で持ち上げられた。
だったら、そのまま持ち上げた状態にしておけば、このレンズもくっつくはずではないかと、ちょっと調子が悪くなって、杉谷のところに出張していた(一度雨に濡れてから、ときどき、写真がシマシマになって写ることがある)ニコンD70に、このレンズを挿入(装着という感じじゃない)してみた。ファインダーではなんにも見えないから、撮ってみて、液晶画面でできあがりを確認するしかない。露出もオートが使えないし露出計も機能しないから、マニュアルでてきとうに撮るしかない。このアナログな感じが、なんだかとってもなつかしい。このレンズには、外付けのファインダーが付属している。でもデジタルカメラは、35mmカメラに対してひとまわり狭い範囲しか写らないから、15mm用のファインダーをのぞいて撮ったものは、頭が切れたりしていることが多かった。22mm相当のファインダーをさがしてきて、それを使わないと、なにが写ったのかも液晶を確認するまでわからない。これではアナログ以前に、ばくちだ。
なんで、こんなにあと玉が飛び出しているかといえば、それがレンズの設計にとって自然であるかららしい。むりやりたとえれば、軽量コンパクトを狙ってむりやり軽く小さなオートバイを作ろうとはしないで、自然に設計したらこんなになっちゃった。文句あるかとばかり、100kgのトライアルマシンを作っちゃったようなもんだ。でもその100kgが、とても使いにくいのに、なぜか抜群のグリップを発揮するとか、そのグリップ感覚がライダーに至福の快感を与えてくれるとか、まぁそんな感じのレンズなのだった。レンズ業界的には、歪曲収差が小さいとかいろいろ並べることばもあるんだろうけど、ぼくはテクニカルタームにはめっぽう弱いので、撮ったものを見てたいへん気に入ってしまいました、という感想を書くだけにしておきます。
見た目には、ごらんのとおり、ごく薄い。レンズの主要部分はカメラの内部に入り込んでしまって、外側には1cmそこらあるかないか。ほとんど、ボディだけ持って歩いているような感じがナイスなのです。
でも、よいこの皆さんはこんなことまねしちゃいけませんよ。レンズの説明書には「ミラーアップのできるカメラで使え」と書いてあって、D70は、逆立ちしてもミラーアップができるカメラじゃないんだから。
ちなみにぼくは、D70よりももうちょっと雨に強いD200というカメラも持っているけど、このカメラはミラーのあたりの寸法がD70よりも小さくて、物理的にこのレンズを挿入することができませんでした。結果的に罪を重ねることができず、犯人としてはちょっと胸をなでおろした次第です。
でも、こういう本来の使い方じゃない使い方って、楽しいんだよなぁ。
投稿者 nishimaki : 18:03 | コメント (3) | トラックバック
2008年10月02日
イシア
イシアはペップの娘。ペップはソロモト誌の編集者で、かっちりした写真を撮る。ぼくには逆立ちしてもこういう写真は撮れないので、ちょっと嫉妬もしている。最近はえらくなって現場には子分のチリという若いのが来ているけど、チリに「早くえらくなれよ」というと「まだまだペップにだめだしをされてるんだ」みたいなことを言う。どこも上下関係は、なかなかたいへんそうだ。ぼくら日本のトライアルの取材現場には、上下関係がほとんどない。住み心地はいいともいえるし、向上心を失うともいえる。善し悪しだけど、人口が少なければ上下関係も成立しないのだった。
いやまぁそれはそれとして、イシアの話だ。イシアは1歳ちょっとになる。歩き始めて、やんちゃな盛りだ。ペップはジョルディ・タレスと同い年。40歳過ぎて1歳の娘というのは、お父さんになるのがちょっと遅かったけど、お父さんと娘の関係は年齢とは関係ない。ぼくなんかへそ曲がりだったから(今もだけど)自分が父親であるというのをなかなか受け入れられなかった気がする。お父さんになるのも年齢修行が必要じゃないかと思うから(ぼくができが悪いだけだとも思う)年齢がいってからお父さんになるのも悪くないかも。そういえば杉谷も、もうすぐ50歳だけど、実は最近お父さんになった。
それでイシアの話だった。自分の家に突然日本人がやってくるというのは、彼女は認識してるのかなぁ。どうも、このくらいの年齢だと、人種のちがいを認識するのはむずかしいかもしれない。最初は人見知りしてたけど、30分もたったら仲良く遊べるようになった。お別れのときには投げキスしてくれるようにもなったし、一晩おいたら、ほっぺたにちゅーしてくれるようにもなった。まぁ、彼女のぼくに対する愛というより、父親と母親がそうしなさいとしむけるから、命令のままに動いているんだけど、悪くはないもんです、やっぱり。
あんまりなつっこいから、写真を撮ってあげる。すると、カメラに手を伸ばしてくる。これはあんたを撮影するためのもんで、あんたが遊ぶもんではないだろうと言ってみるが、少なくとも彼女には、日本語は通じない。
「彼女は、写真を撮ったら写ったものを見せないと気がすまないんだよ」
ペップお父さんが解説する。なるほど、モニターを見せて「こんなのを撮らせていただきました。ありがとうございました」と報告する義務があるわけね。デジタル時代の申し子です、やっぱり。
となると、やっぱり想像の範囲の事件も起きたらしい。友人や親戚の中には、まだデジタルカメラじゃなくて、古式ゆかしいフィルムカメラを使っている人だっている。ある日そういう人がイシアの写真を撮ってくれた。イシアは当然のように出来上がりを見せろという。しかしフィルムなんだから、見せられない。カメラを見せても、画面がない。イシアには、フィルムカメラの道理はわかんないから、意地悪をされているとしか思わない。泣きわめいて、たいへんなことになったそうだ。世の中、デジタル化してきて、その流れについていけない人は少なくないけど、これからはその流れ以外を知らない人のほうが増えてくるという世の中の流れを、イシアから教えてもらった。
イシアには、おみやげに浴衣のセットと、剣玉とだるま落しと笛をプレゼントした。お母さんには扇子と手ぬぐい。お父さんにはなにもなし。もうしわけない。イシアは笛は吹けた。剣玉はまだ遊べない。実家に持っていったら、甥っ子たちが遊んで、ところが熱中しすぎて剣玉の玉を床に叩き付けてしまった。安いもんだから剣玉のほうが壊れればいいのに、床のタイルが割れてしまったのだそうだ。訴えられて国際紛争になるかと思ったら、笑い話で終わった。よかった。
仲良くなってくると、彼女はぼくのめがねにご執心だ。赤ん坊ってのは、国籍を問わず、めがねが気になるみたいですね。十何年前、実の娘たちにもやられた覚えがあります。イシアのお父さんもお母さんもめがねをかけないから、いたずらをするとしたら、ポンニチを相手にするしかないわけだ。しょうがないから、遊ばれてあげた。
イシアは言葉を覚えている最中。お水ちょうだいは「アウア、アウア」とたどたどしい。お母さんが「アクアでしょ」と訂正している。イシアといっしょに生活していれば、ぼくもスペイン語を覚えられるかなぁ。
投稿者 nishimaki : 08:11 | コメント (0) | トラックバック
2008年09月23日
5ユーロの昼食
世界選手権最終戦のスペイン大会のあと、自然山通信の締め切りなどあって、バルセロナに滞在。
お友だちには、みんなから「いいなぁ」と言われる。バルセロナはガウディとピカソの街。日本からの観光客もいっぱいいる。バルセロナへ向こう飛行機も、1/3は日本人だった。日本人パワー、すごい。
初めてバルセロナに来たときには、ぼくもガウディのサクラダ・ファミリアに登り、動物園で白いゴリラに会い(2003年に絶命した)、ピカソが好んだという喫茶店でコーヒーを飲んだりしたもんだけど、何度も出かけるようになると、だんだん観光名所にはいかなくなってきた。そういえば、長らく東京暮らしをしていたのに、東京タワーは1回しか行ったことがない。エッフェル塔も凱旋門も1回いったから、ヨーロッパは観光はもういいやと思ってる。
でも、ヨーロッパに飽きたわけじゃなくて、ヨーロッパといわず、外国に出かけるのはとても興味深い。高級レストランでお食事したりするのはどうでもいい(大きな問題は、お金がないということだけど)。スーパーマーケットで売ってる2ユーロのワインがとてもおいしいのを発見したり、なーんでもない横町を、犬のうんちをよけながら歩いているとき、自分が外国にいるんだなと実感できると、より強く実感できるようになってしまった。へそ曲がりだからだけど、かっこよくいえば、外国のふつうの暮らしに近づくことで、外国の文化というか、においを感じられるような気がする。日本人のガイドさんに連れられて、ガイドブック通りの観光名所を訪れていると、それは日本文化の様式に従って、外国の景色をながめているだけじゃないかと思っちゃうわけだ。
いつものとおり、へりくつの前置きが長くなりました。本日は、とある街(なんていう街なのかも覚えていない)のとあるバー(Bar。日本のいわゆるバーって感じじゃなくて、まぁ、喫茶店かな?)でお昼ご飯を食べたという、とてもとてもなんでもないお話。
外国でご飯を食べるのはむずかしい。特におしゃれに決めようと思うと、むずかしい。メニューが読めないからだ。英語なら大丈夫かといえば、それもなかなかむずかしい。外国のメニューには、日本のファミリーレストランみたいに、写真入りの親切なやつなんてまずないから、度胸とばくちでメニューを決めるしかない。
でも、どうせわかんないんだからメニューなんて見ないで、直談判したほうが結果がいいことが多いってことが、だんだんわかってきた。コミュニケーションの道具は、片言の英語でけっこう。どうせ相手だって、たいていの場合片言の英語しかしゃべれない。
「こんにちは。英語しゃべれますか? 飯食えますか?」
返事はイエスじゃなくてシーだったから、たいした英語は話せないはず。あんまりむずかしい注文をするつもりはないから、そのほうが好都合だ。なんでもいいから、てきとうに持ってきてちょうだい。英語が話せるおねーさんから話はおばさんにトスされて「本日の定食」という看板が示された。直訳すると「本日のお皿」って書いてあるのかな? メニューの中身がなんだかはわかんない。おねーさんがやってきて「卵となんとかとなんとかでよろしい?」とたずねなさる。よくわかんなかったけど、それでいいです。
彼女、エキスキューズミーのかわりに「ソーリー」と言って話しかけてくる。外国人は、あんまりあやまらない。日本人は、あやまるべきところでないのに、へこへた頭を下げてあやまることが多い。日本ではそのほうが話がスムーズなんだけど、外国ではそうじゃないんですね。おねーさんにやってこられて「ソーリー」と言われると、本日のお食事はもう終わったとか、日本人に食わせる食べ物はないとか、よからぬ申し出を想像してしまってびびる。2回びっくりしたけど、この人のソーリーは日本人的「すいません」と同義なのだと気がついた。スペイン語でも、日本語の「すいません」みたいな使い方があるのかな?
「本日のお皿」は、5ユーロだった。最近のヨーロッパ昼食調査によると(ニシマキ調べ。よって、あやしい)昼食は10ユーロを切れば、まぁ安い。10ユーロぽっきりでコーヒーつきだったら、やっぱり安いという感じ。5ユーロはお皿だけだけど、これならお安い部類。
スペイン大会の会場で、サンドイッチを買った。フランスパンに薄い薄いステーキをはさんだだけで、ちょっとだけタマネギが添えられている。それで5ユーロだった。だから、本日のお皿の5ユーロはとってもとっても安い。今、ユーロはひところよりも少しだけ安くなって、1ユーロが155円後半だそうだ。ちょっと前は、160円オーバーだった。5ユーロといえば、ざっと800円弱になる。でも、こういう計算をしてはいけない。5ユーロは安いけど、800円の昼飯は安くないからだ。
お金の価値感覚と、為替レートには少しちがいがある。1ユーロは、だいたい100円。為替レートの関係で、ユーロが200円になっても50円になっても、感覚的には1ユーロ100円と信じている。そうじゃないと、ユーロが高い(というか、円が安い)いまどきは、とてもじゃないけどご飯なんか食べられない。ビールも飲めないし、ガソリンスタンドでガソリンも入れられない。1ユーロが100円の価値なのに、銀行で換金すると160円もとられちゃうのは、それだけ日本のお金に力がないということだ。輸出産業は、円が安いとお得。ぼくは経済はとんとうとくて素人だけど、世界の相場的には「日本は経済が貧弱だから、円は160円もらっても1ユーロくらい与えるのがお似合いだ。そのかわり、輸出産業がお得のはずだから、それでがんばって貧弱な経済をなんとかしてね」てな動向になってるんじゃないかと思う。飯が高い、宿が高いということは、こんなふうな経済活動の結果であって、日本の経済政策の結実が、ヨーロッパにいるぼくのお財布に影響を及ぼしているのであった。
「ソーリー」
またおねーさんがやってきた。もうびっくりしない。お飲物はなににしましょうというから、ついビールを頼む。ときどきおばさんが通るだけの街の風景を見ながら飲むビールがおいしいと思うようになったら、あなたも立派なへそ曲がりです。おめでとうございます。ビールを飲みつつ、ポケットに突っ込んできた司馬遼太郎など読む。こちらの人は、バカンスに来てなにをするかといえば、たいてい本を読んでいる。気持ちがいいと思える空間に身を置いて本を読むのは、きっと幸せなのだ。なのでぼくもまねをしてみる。満員電車の中で読むのと変わんない気もするが、幸せ度がうんと高い気もしないでもない。
司馬遼太郎を10ページほど読んだら、5ユーロのお皿が出てきた。5ユーロが800円じゃなくて500円だとしても、ガストあたりのランチが食べられる。ご飯は大盛り、スープつき。でも日本のファミリーレストランのご飯は、どうも工場で一気に作られた気配が濃厚。農薬が混ざってたりしてるとは思わないことにしてるけど、大きな企業ってのは、食材を作る人、そろばんをはじく人、安全を考える人、安全を宣伝する人、それぞれ別の人であることが多くて、どうも信用しきれない。ヨーロッパには、いまだに大きなチェーン店はあんまりない(マクドナルドはある。味はほぼ世界共通だけど、お値段がなかなか高い)。それぞれのメニューは、それぞれのお店がこつこつとつくっている。おばちゃんの衛生観念や安全に対する正義のポリシーはよくわかんないけど、少なくとも顔が見えない大手ファミリーレストランチェーンの正義より、スペインのおばちゃんのほうがわかりやすいってもんだ。
食い終わったら、おばちゃんがやってきて「コーヒーはいかが?」というから、ちょうだいなとお返事する。おねーさんは、ぼくが食べている間に、スクーターでどこかへ出かけていった。お昼のアルバイト時間が終わったのかもしれない。おばちゃんは英語は話せないみたいだけど、大きな問題じゃない。コーヒーは「ソロ」。スペイン語の「ソロ」は辞書ひくとアローン(ひとり)なんて出てくるけど、意味合いとしてはシングルだったりオンリーだったりするみたいで、コーヒーのソロといえばエスプレッソが出てくる。こういうのは、スペイン人と1日2日いっしょに遊んでいれば、なんとなく様子が分かるようになってくる。コーヒー飲むだけだから、スペイン語の勉強って感じじゃありません。
5ユーロのお昼ご飯は、ビールとコーヒーが混ざって、7ユーロ55になった。ビールが1ユーロ55、コーヒーが1ユーロ。ビールもコーヒーも良心的なお値段でうれしい。安いとうれしくなる自分のせこさもなさけないけど、ともあれうきうきしてお昼を過ごし、さて、今計算したみたら、7ユーロ55は1200円弱だった。やっぱり、外国での出費は、日本円に換算してはいけない。
投稿者 nishimaki : 19:29 | コメント (0) | トラックバック
2008年08月01日
ロケ終了
自然山通信の新作DVDのためのロケをやってきました。このところ、テーマは続々と控えてるんだけど、DVD編集が追いつかなくて、なかなか新作が発表できなくて申しわけない限りです。ロケをやってきたなんて報告すると、早く出せと言われそうで戦々恐々なのですが、ご紹介しちゃいました。
テーマとか、走ってるのが誰か、なんてのはないしょにしておきます。写真見て、一目でわかっちゃう人も多いとは思いますが。
収録したのは、トライアルテクニック教室です。基本のテクニックを、奥の深い解説で語ってもらってるので、どうぞご期待ください。
で、このとき、先生に悪い見本を見せてもらったのですが、悪い見本でひとっ走りしたあとの先生ときたら、何だか妙に息が上がっている。それまでは、あんなことやこんなこと、いろいろやってもらったのにまったく平気で、カメラを持って歩いているこちらのことを気づかってくれるくらいだったのに、あらまぁ。
それではたと思った。ぼくら、よくじょうずな人に「こんなところではぁはぁぜいぜいしているようじゃだらしないじゃん」なんてよく言われます。それって、体力がないぞ、というご指摘だと思ったんだけど、こういうのは、体力の問題じゃないんですね。じょうずな人だって、ヘタに走れば体力を消耗するんじゃん。
へたなぼく(そしてあなたも?)だって、先生みたいに上手に走れば左うちわで悪路を走破していけるし、超じょうずなあの人だってこの人だって、テクニックをぼくとそっくり入れ替えたら、もしかしたらぼくとどっこいくらいに、はぁはぁぜいぜいになっちゃうかもしれないのだ。
そう気がついたら、ちょっと気が楽になったり、楽しくなったりしました。だからといって、なんの解決にもなってないんですけど。
投稿者 nishimaki : 00:29 | コメント (0) | トラックバック
2008年07月02日
マリオとアニエーゼの日本探訪
あれから1ヶ月経っちゃったけど、今年もマリオ・カンデローネとアニエーゼ・アンドリオーネが日本にやってきた。今年の彼らは、日本GPの1週間前に日本にやってきて、大会翌日の月曜日に日本を発った。ちょうど1週間の滞在で、前半4日間が彼らの短いバカンスだ。FIMの公式ビデオを撮っているスペイン人のロベルトは彼女といっしょに2週間の日本観光を楽しんでからもてぎにやってきた。ヨーロッパの人たちのバカンスってのは、こういうスケールなんですね。くやしいけど。
世界選手権日本大会は、2008年で9回目を迎えた。海外から毎年取材にやってきているのはマリオただひとり。アニエーゼ(マリオのかみさん。日本人的には、かみさんと呼ぶには戸籍上どうなっているのかとかが気になるけど、あちらの方々は、戸籍上の問題はあんまりこだわらないみたい。ふたりがちゃんとしたパートナーであるかどうかというところが問題らしい)は2002年だったかに来日していないから、残念ながら皆勤賞を逃している。今年は試合後に、藤波貴久が世界選手権参戦200戦目の表彰をされていたけど「来年はおれが海外からの取材10年連続皆勤賞を表彰されるのだと、マリオは張りきっている。
彼らが日本に来たのは、日本では全日本近畿大会が開催されている日だった。その日、彼らはまず町田のホテルに投宿する。なんで町田かというと、杉谷家から近いから、誘い出すのになにかと便利だってのと、宿代が安い。それと大事なのは、近所にあるエクセルシオール・カフェのエスプレッソが、コーヒーにうるさいマリオのお眼鏡にかなっているということだ。
イタリア人は、コーヒーに目がない。といっても、単なるコーヒーじゃだめだ。コーヒーのおいしい部分だけを抽出したようなとてもとても濃いエスプレッソ。もちろんただ濃いだけじゃない。イタリアで飲むエスプレッソはたいていおいしいけど、フランスのは最悪。スペインのはイマイチで、ポルトガルのはまぁまぁ。日本で出てくるエスプレッソは、たいていフランスといい勝負だから、マリオがお墨付きを与えるエスプレッソは、たいへん貴重なのだった。
成田から町田までは、すでにマリオたちにとっては通い慣れた道で、ひとりでバスにのってやってくる。でも今回は、去年ベルドンでお世話になったおふたり、齋藤義宏さんと瀧田伸一さんが朝も早くから出迎えに行ってくれた。ヨーロッパでお世話になった外国の人を成田空港で出迎えるってのは、なかなかいいもんです。帰りのクルマの、なんとなくたどたどしくもフレンドリーな会話もおもしろかったりしてね。
日曜日の晩は、齋藤さんと瀧田さんとマリオたちとでご会食となったらしい。その晩のご会食は、居酒屋さんだったそうだ。翌日、彼らは新宿へ出かけた。今、ユーロ高円安だから、カメラ機材なんかを日本で買うのはお得感がある。さらに新宿のニコンのサービスセンターで、汚れたCCDを掃除してもらうのも、ここ数年の日課になった。でもアニエーゼのニコンはあんまり汚すぎて、その日の返却は無理と言われてしまったらしい。トライアルの取材は、カメラを泥漬けにしているようなもんだから、さもありなん。
彼らが新宿から帰ってきた頃、ぼくらが大阪から(横浜の杉谷家に)帰ってきた。全日本の夜は、速報レポートなど書いていて、全部終わるのが朝になる。なのでホテルで遅い朝食をとってから帰途につくのが毎戦の恒例だ。それで、今度はぼくらがマリオたちを歓迎する会食となった。でも、なぜか齋藤さんもやってきた。この日の会食コースも、また居酒屋さんだ。
外国人を連れていくのは、居酒屋さんが便利。へたにイタリア料理店にいっても、たいてい日本の味のイタリア料理だから、お口にあうかどうかわかんない。居酒屋さんなら、彼らも半ばあきらめてくれる。それに、日本的料理からピザまで、メニューが多国籍なのもいい。問題は、いまだに禁煙席が用意されているところが少なくて、禁煙席っていっても喫煙席から煙が流れ込んできたりすることが多いってことだ。マリオは煙を吸わされるのをとってもきらう。がまんできるかどうかは別にして、ぼくもいやだから、これは同感です。
トライアンフ相模原(スナップリング)の高橋店長とゆかりさんもやってきた。ゆかりさんは1999年にマリオが主催したトリアル・どんなに参戦している。店長はその後SSDTに参加して、マリオとは戦友である。ゆかりさんたちがきたので、河岸を変えてまた呑むことになったのだけど、呑み屋のハシゴってのはイタリアの文化にはないから、マリオは今日はディナーを2回とったから、フィットネスに励まないとたいへんだと騒いでいた。その後、マリオがエスプレッソをご馳走するとエクセルシオール・カフェに出かけるも、閉店だった。コンビニでスターバックスコーヒーを買って道端で飲む。お食事の後はコーヒー飲まないと決着しないってのが、イタリアの文化なので、しょうがない。
翌朝、ぼくはマリオたちを連れて福島へ。今回は、ぼくが廃校に住み始めたってことで、マリオも杉谷も「今年はマリオは福島へ」と決めてかかってたけど、がっこうへ連れていってどうしようというのか、実はさしたるプランがなかった。去年秩父へ連れていった時には、古民家の民宿とか長瀞の川下りとか、それなり観光ツアーを組んだのだけどね。
それにしてもマリオも、日本観光がだんだんマニアックになってきた。1年目は日光だった。2年目は確か京都。それから北海道、鎌倉、伊豆、箱根、信州の温泉と年ごとに秘境狙いになってきて、去年は秩父。秩父も外国人観光客的にはけっこうマニアックだけど、福島のほうは、いよいよマニアックだ。でも考えてみりゃ、ぼくはイタリアに何度もいってるけど、フィレンツェのドーモにもいったことないしバチカンにも行ったことがない。最初から秘境みたいなトライアル会場ばっかりいっている。マリオは健全な日本観光を楽しんでいるってことになる。
福島の川内村に帰ってきた(マリオ的には初登場)のは、火曜日だった。そういえば、火曜日は我が村の温泉は定休日だった。マリオは高血圧だから、あんまりハードな温泉には根を上げてしまうのだけど(信州の鉱泉で動悸がしてあぶなくなったことがあった)ここの温泉はごく水に近い温泉だから大丈夫(温泉好き的にはパンチが足りないかも)。ふたりともそこそこ日本の温泉ファンなので、定休日は残念なり。ま、しょうがない。
まず、がっこうへお連れした。通りすがりに、入り口の鈴木商店で買い物かたがた、イタリアのお客さんを紹介する。アニエーゼは日本語検定に合格した日本語使いだから、なんとか会話になっている。
「これはナンですか?」
「フキだ。今日おれがとってきた」
「ワカリマシタ」
なんて感じ。鈴木商店は本来魚屋さんだけど、いろんなものが並んでいる。マリオたちに言わせるとスーパーマーケットだそうで、それが鈴木さんには受けていた。イタリアの田舎町にも、小さなスペースに商品がごっちゃと並んでいるお店はあるもんなんだ。
さてさて、晩飯時になったので20分走った村内のイワナ屋さんへいく。もともと大工さんで、大工さん引退を機に趣味の川魚釣りを商売にして、食い物屋をはじめたお店。店主の馬場さんは、お話し好きだ。イタリア人が現れても、動じない。そして、日本語で「うまいか?」と話しかけている。聞きとれなくても、なんとなく察しはつくから、マリオは「ボーノ」と答える。アニエーゼは「オイシイデス」と答えている。
ご注文はイワナづくし。唐揚げと塩焼きと刺し身。塩焼きは時間がかかるけど、のんびりのお食事はヨーロッパ人は得意だから、ぜんぜん問題ない。待ってる間に「これ食ってみろ」と田楽がでてきた。炭を起こしてもらって、コンニャクに火を通しているうち、あたりが暗くなっていく。
川魚の刺し身は、もっと警戒するかと思ったら、ふたりともおいしいおいしいと食べている。日本人は刺し身をよく食べるから、川魚を生で食べるのはあぶないと知ってるけど、刺し身を食べない人種にとっては、海魚も川魚も、おんなじくらい警戒すべきもので、いったん警戒が解けてしまえばいっしょなのかもしれない。川魚は虫がいるから生で食べられないんだけど、ここはきれいな水で養殖しているのを刺し身にしているから大丈夫、と解説してやろうかと思ったけど、この人たちはときどき必要以上に心配性になったりするから、向こうが心配してないのをいいことに、黙っておくことにした。マリオは、塩焼きが気に入ったらしい。塩焼きなら、イタリアでもおんなじものが食べられると思うんだけどな。
お食事が進んだ頃、馬場さんがやってきて「今日は泊まってくのか、どうやって寝てるんだ、風呂はどうしてる」と聞いてきた。風呂は温泉にいくんだけど、今日は休みなんだよねと話をしたら「おれんちで入っていくか?」という。こういう展開になるかなぁと思ったけど、こうなってもおかしくない雰囲気が、馬場さんにはある。イタリア人をおれんちの風呂に入れたぞ、というのは、馬場さんにも興味深いエピソードとなるのかもしれなかった。で、聞いてみる。
「お風呂、入る?」
英語では「Take a bath?」ってなるんだけど、ふたりがきょとんとして、心配そうな顔になってきた。そりゃ、魚を食べに来て風呂にはいるかと聞かれたら、警戒するのも無理はないかなぁと思ってると「おれたちはクルマできたんだけど、クルマはどうするんだ?」なんて聞いてくる。風呂に入るんで、酒を呑むかと聞いてるんじゃないんだから、クルマに乗って帰れないことはないだろう。なにが心配なのかな? にこにこしている馬場さんを前に、マリオたちとぼくは、しばし英語と格闘する。つきあいは長いから、たいていの会話は(文法がめちゃめちゃだろうと)通じるのだけど、ときどきこんなふうにスタックすることはあるのだ。
ようやく事態がわかったのは10分くらいたってからだった。「今日は温泉が休みだから、ここでお風呂に入っていくかってご主人が言うんだ」と解説してからだ。「なんだ、バスじゃなくてバスだったのか」。どうやらぼくは「Take a bath?」じゃなくて「Take a bus?」って聞いたらしい。バスに乗るか?なんて聞いたもんだから、彼らはふたりだけ放り出されて勝手にバスで帰れと言われたとでも思ったのかもしれない。それにしても、ぼくの発音がめちゃめちゃなのは今に始まったことではなくて、たぶんこの何年ずっと、マリオはぼくのトンチンカンな発音につきあってきて、おおむね会話は成立している。それは、話の流れがだいたいお互いに理解してるからだ。でも今日はだめだった。レストランに食事に来て、そのままお風呂に入るなんて、イタリア人の辞書にはなかったってことでしょうね。いえもちろんぼくの辞書にもありません。だけど、村では時々こういうことも起こりうる。「魚レストランのご主人はおもしろくてとっても親切」とマリオは喜んでいた。ま、外国人スペシャルですね。
がっこうには、光ファイバーでインターネット回線が入っている。これを使って、マリオはSKYPEを起動してイタリアの実家と連絡がとれる。ネット回線さえ貸してあげれば、電話代を気にすることなくイタリアと電話ができるんだから、便利な世の中だ。イタリア語のニュースも、日本にいながら読める。
「えらいこっちゃ」
ニュースを見て、マリオが悲鳴。マリオの住んでる村が水害にあっている。ひとも亡くなっているようだ。すぐ、マリオは友だちに電話している。アニエーゼも、お母さんに電話する。
「アニエーゼのお母さんは、こっちはあぶないから、あんたたちはずっと日本にいた方がいいわよと言っている。おれの村は、川が増水して、うちに渡る橋が通行止めになっている。おれんちに帰るには、クルマが通れない山道を歩いていくしかないらしい」。マリオは今イタリアにいないから、山道を歩いて帰る必要はないけれど、イタリアに帰ったときに、歩いてでも帰れる家があるかどうか、問題になってきた。でもそれはそれ、うじうじ心配してないで、翌日の予定を考えるときには、ニコニコしてしまうのはさすがにイタリア人。こういう切り替えはうらやましい。
翌日は、高塚山の山頂にハイキングしてきた。高塚山は山頂近くまでクルマでいけるし、そのへんには無料のキャンプ場もある。山頂までは片道30分くらいで、登山というほどの行程ではない。サンダルでもなんとか歩けるくらいの道のり。日本に来てから運動不足だから、ジムはないかなぁとおっしゃるマリオには、ちょうどいい運動になった。
そうそう、入り口に「バイク進入禁止」という看板が立っていた。無料のキャンプ場には、ライダーもよく訪れる。ツーリングライダーには良識のある人が多いけど、ハイキングコースを走って山頂までいこうと思うやつもいるかもしれないから(誓って、ぼくはオートバイで立ち入ったことはありません)、こういう看板も必要になる。でもそのオートバイが、フルフェイスヘルメットをかぶってロードレーサーに乗ってる絵なんだよね。
「この看板はなんだ?」
「オートバイはだめだってさ」
「トライアルバイクで走っちゃだめで、ロードレーサーならいいってか?」
「ロードレーサーで山道を走るのはやめましょう、ってことかもしれない」
マリオと付き合っていると、人生を冗談ですごせるようになってくる。イタリア人ってのは、みんなこんなのなんだろうか。
高塚山を降りて、温泉に行く。高塚やまのあと、ほんとは山の反対側にある鍾乳洞にもいこうかと思ったんだけど「電気もない、遊歩道もないような鍾乳洞があるんだけどいくか?」と聞いたら、敬遠されちゃった。大滝根山にはふたつの鍾乳洞があって、電気も遊歩道もないのは入水鍾乳洞。もうひとつ、立派な電飾つきのあぶくま鍾乳洞ってのがあるんだけど、ぼくはこっちは観光地すぎて好きじゃない。こっちに連れていってあげればよかったかな。温泉はいろんなところへいったから、ふたりともすっかりベテラン。最初の年に民宿に泊まったときには、湯船に石鹸入れられたりしたら困るから、狭い浴室にぼくとマリオで入ったものだった。湯船にゆっくりつかるという習慣はあんまりないから、温泉は彼らにも大人気だ(ただし特別に強い成分の温泉はのぞく)。
温泉の後、村の中心街にある小松屋旅館さんにいく。小松屋旅館さんは、川内村に2軒ある旅館の一軒。3泊ともがっこうに泊まるのも能がないと思って、1泊の予約を入れておいた。そういえば、ぼくの夕食はお願いしてなかった。「今日はおれのディナーはナシだな」とマリオに話しておいたけど、宿についたら「食べてくでしょ、イタリアの方のお世話はおまかせします」ということになった。なので、本日も3人でご会食。ご主人はきのこに詳しい方だから、お膳は地のものが盛りだくさんだった。ふたりはビールを呑む。ぼくはクルマだから呑めない。なんたって、駐在さんはお友だちなので、ご迷惑はかけたくないのでした。
そうそう、駐在所は宿の並びなので、ここにも寄ってみた。村の更生園(知的障碍のある人がいらっしゃる)がつくってるコーヒー豆でコーヒーを入れてくれた。駐在さんは村で唯一、自然山通信の読者さんだから、ぼくのお客さんだし、マリオもレポートを送ってくるのだから、大事な読者さまというわけだ。ごちそうしてもらうのは立場が逆だけど、おことばに甘える。駐在さんは白バイ大会にでたときの雄姿がのっている雑誌を見せて、自らのトライアル活動を国際的に知らしめようと試みていたけど、白バイ大会に出ることがどれほどたいへんなことなのかという件については、マリオに伝えられた自信はない。週末は世界選手権だから、駐在さんも見にいきましょうと誘ったけど、村にたったひとりのお巡りさんは忙しいのであった。
お食事後、エキスサイズを兼ねて自動販売機までコーヒーを飲みに行く。イタリアのコーヒー通が、自動販売機のコーヒーでいいのかと心配になるけど、どんな味のコーヒーが出てくるのかがわかっていて覚悟して飲すれば、イタリア人にとって、自動販売機コーヒーもそんなに悪いものではないのかもしれない。
翌朝、朝ご飯を食べ終わった頃にマリオたちを迎えに行く。そのまま民芸館と、草野心平ゆかりの天山文庫へ。ここでは、我が部落の区長さんの奥さんが働いていらっしゃる。日本の詩人のことはピンとこなかったみたいだけど、囲炉裏の前に詩人が座って酒を呑んでいたという話や、その席に今座れるという事実については、ちょっとは興味は持ってもらったみたいだった。アニエーゼは日本好きだから、民芸館の古い農具なんかもおもしろがっていた。農具のいくつかは、似たようなのがイタリアでもあるみたいだった。ぼくも彼らも農業には疎いから、確証はないけど。
一度がっこうに帰ってインターネットにアクセス。
「おれんちはまだ立っている」
マリオは一安心。でも、隣の村では道が崩れたり家がつぶされたり、たいへんな様子だ。ぼんやりとした午後をすごして、そののち温泉へ。行きがけに、鈴木商店にお刺し身を注文していく。今度は海のお魚のお刺し身。やまのど真ん中にある魚屋さんは、とてもおいしいお刺し身を食べさせてくれる。わざわざイタリアから食べにくる価値があるってもんだ。
と、お客さんのおひとりが「イタリアのひとが来てるっていうから待ってたのよ」と待ちかまえてくれていた。近くの縫製屋さんの奥様。かしわもちをいただき、食べる。葉っぱも本物だから食べられるのだよと教えてやる。“スーパーマーケット”に買い物にいって、そこのお客さんからお菓子をいただくというハプニングは、マリオたちには不思議体験だったらしい。イタリア人よ、村のひとってのはこんなふうに親切なのだ。ぼくだって、マリオの村の人たちには、けっこう親切にしてもらったものだけどね(ただし柏餅をもらったような覚えはない)。
温泉は、日替わりで男湯と女湯が入れ替わる。
「きのうとお風呂がちがうけど、どういうシステムになってるんだ?」
「きのうはあっちが男湯、今日はこっちが男湯。あしたは混浴だよ」
しょうもない冗談です。あしたはいよいよ世界選手権取材でもてぎにでかける日なんだけど、混浴と聞いたマリオは「おれはここに残る」と言っている。お約束だけど。
お風呂をでて、お刺し身を受けとってお食事。これも食わせてみなさいと、イカフライとか山菜のてんぷらとか、盛りだくさんいただく。
「みんなきみらを歓迎してくれてるんだよ」
と解説するが、マリオは自分たちがなんで歓迎されるのか、理由がわかんないようだ。「イタリア人だからね」と答えるも、ここの人はイタリア人が好きなのかなぁとやっぱり腑に落ちないでいる。それでも、みんながとても親切なのは問答無用で理解してくれた。
お食事していたら、区長さんがやってきた。
「イタリアのお客さんが来てるんだって? 知らせないなんて水くさいぞ」
てなわけで、区長さんの歓迎のごあいさつを通訳させられる。「いやー、なに言ってるかわかんないぞ」と言いつつ、マリオにも区長さんの笑顔はちゃんと通じるのだった。区長も山菜もってきてくれたので、食卓はたいへんにぎやかになった。
今晩のコーヒーは、マリオが持ってきたコーヒー豆でエスプレッソを淹れる。ひとり用のレスプレッソを淹れるパーコレーターは前にプレゼントしてもらってたけど、やっぱりイタリアの豆じゃないといかんよなぁと思うので、マリオには「おいしいコーヒー飲みたかったら、お豆持参できてちょうだい」とお願いしておいた。イタリアのバル(Bar)で飲むエスプレッソとはだいぶ様子がちがうけど、香りは確かにイタリアのエスプレッソだった。
さて、マリオの日本の休暇はこれでおしまい。翌朝はもてぎに向けて出発した。途中パトカーとすれちがうとマリオが「お友だちがきたぞ」と言うんだけど、日本にはお巡りさんはいっぱいいるのだ。
マリオが帰ってしばらく、岩手宮城地震が発生した。すさかずマリオから「みんな大丈夫か?」とメールあり。地震はずいぶん遠いところだったから大丈夫。鈴木さんも区長さんもあの人もこの人も、みんな元気ですぞとお返事すると「よかったよかった」と安堵の返信があった。そうそう、マリオの家も、マリオの家に通じる橋も、無事だったらしい。日本の災害もイタリアの災害も、どちらも犠牲者がでているから単純によかったでは済まないのかもしれないけど、少なくとも知人やお世話になった人の無事が確認できるのは幸せなことではある。
投稿者 nishimaki : 20:20 | コメント (0) | トラックバック
2008年04月02日
御殿のようなホテル
自然山通信は、ヨーロッパ取材のとき、宿を予約することがほとんどない。日本から予約できるようなホテルは、たいてい豪華絢爛なところばかりで、値段は高いし、大会会場からも遠いことが多い。現地へいってから、これは安そうだぞと思えるところに飛び込んで交渉するのが、いろいろと都合がよろしい。
でもこういう宿選びをしていると、泊まれればなんでもいいということになっていくのも事実。寝るだけだから、そんなに困ってもいないのだけど。
ところが今回の開幕戦旅行では、ひょんなところから天皇陛下もお泊まりになったというお城改造のお宿に泊まってみることになった。
ベルギーの首都ブリュッセルの空港からクルマで30分ほど。かわいい湖のほとりに、そのホテルはあった。シャトー・ディ・ラック。湖のお城、という名前のホテルは、ジョン・マーチンさんが社長のホテル会社が経営している。マーチンさんの家系は、もともと飲料製造業をやっていて、昔はこのお城でも炭酸水を作っていたらしい。マーチンさんはイギリス系の人で、おいしいビールもつくっている。親戚には、ブランデーを造っている人もいて、そのブランドが、なんとレミー・マルタンという。レミー・マルタンとはフランス語読みをしているけど、レミー・マルタンのマルタンは、実はイギリス人のマーチンさんだったんだ。
なんでここに泊まることになったかというと、横浜は野毛に、野毛通信社というバーがある。そこのご主人が親川久仁子さんというんだけど、TL125バイアルスで早戸川を走っていた、女性トライアルライダーの草分け的存在だ。モトクロス王国ベルギーを訪ねてそのまま住みついて、結婚してお子さんがいる。現在はお母さんは日本、お父さんはタイ、息子はベルギーというグローバルな生活を送っているけど、その久仁子さんに「ベルギー経由でルクセンブルグにトライアルを見にいくんだぁ」とお話ししたら、息子に荷物を持ってってちょうだい、そんで、息子が働いてるホテルに一泊してみてちょうだい、ということになった。
税関チェックを終えてベルギーの空港の到着ロビーに現れると「SUGITANI・NISHIMAKI」と書いた紙を持ったお兄ちゃんが待っててくれた。空港ではよく見かけるシーンだけど、こんな出迎えをされたのは初めてだ。しかもついてみたら、五つ星ホテルではないか。そんなホテルに、ぼくたち、泊まったことはない。
このホテルは、1995年に天皇陛下をお迎えしたことがあるという由緒あるホテルで、クラシックな趣きとホテル目前に広がる湖の景観が素晴らしい。いつも思うけど、杉谷と二人で泊まるところじゃないんだよなぁ。
親川ジュニアはフレデリックくんといって、お父さんがベルギー人、お母さんが日本人だから、日本語は書けないけど流暢に話す。ベルギーは、今国家元首が不在というとんでもない政局を迎えている。その根源が、フランス語をしゃべる国民とオランダ語(フラマン語)を話す国民との確執なのだけど、フレデリックくんも学校ではフラマン語をしゃべるので、お兄さんとの会話はフラマン語、お父さんとはフランス語、お母さんとは日本語、一家みんなや、親戚が集まって話をするときには英語で会話をするというクロスオーバー環境で育ったらしい。
で、このフレデリックくん、なかなかのイケメンである。お母さんを訪ねて日本に来たときに、たまたま横浜でテレビ局のスタッフに目をつけられて、笑っていいともの美少年コンテストに出演させられたことがあるという。そして今は、このホテルのフロントにお勤めだ。
日本語が話せるイケメン美少年がお迎えしてくれる静かな湖畔のホテル。ぜひお訪ねください。お値段は200ユーロ(一部屋)くらい。泊まってみれば、そんなに高くないと思えると思います、きっと。写真は、イケメンのフレデリックくんと、ボーランド出身のアガタさん。ふたりとも25歳。
MARTIN'S HOTELS
Avenue du lac 87, B-1332 Gencal Belgium
Tel:0032-2-655-74-35
Fax:0032-2-655-74-26
http://www.martinshotels.com/
日本語版
E-mail:sales@martinshotels.com
・親川さんのベルギー情報
投稿者 nishimaki : 13:51 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月08日
新しい数字
2008年。あけましておめでとうございます。ご承知のように、ニシマキには日曜日も正月も朝も夜もないので、新年になったからといって特別なにが変わるわけではないのですが、でも今年は近所の神社に初詣でなどでかけて、用意されていたお神酒などいただいて(お代わりもしたし)、しんしんと降る雪を踏みしめながら、新しい年を迎えた慶びなど感じてみました。
そういう清らかな気持ちとは別に、1年の区切りというのはいろいろあるもんで、そういえば原付きの税金って、いつが区切りだっけかな、まだ名義変更してないから、小鹿野町から税金払えっていわれるかもしれないなと思い、年の瀬に名義変更してきました。村のこっちからこっちに移動したので、住民登録を変更するという儀式もあったのですが。
ピンクのナンバープレートって、地域によっては横長で六角形のところも多い。あれはいやだなぁと思ってたけど、川内村のナンバープレートは長方形で、コンパクトでした。にこにこ。
帰ってきて小鹿野町のナンバープレートをはずし(小鹿野町の皆さん、短い間でしたけど、本当にお世話になりました)川内村のナンバープレートを付ける……。
つけようと思ったら、なんだか手に持った感触がちがいます。あれ?
鉄板とアルミ板のちがいでした。小鹿野のナンバーはアルミ。川内のナンバーは鉄板です。当然、アルミの方が軽い。
ぼくらの使用目的だと、圧倒的にアルミがいい。ほんとはチタンかなんかで軽いナンバーを作りたいくらいだ。原付きのナンバーは地方行政が各々作っているみたいだから、行政ごとに、大きいナンバーや小さいナンバー、軽いナンバー、重たいナンバーがあるんでしょうね。
ナンバープレート全国比較でもやってみようかと思ったけど、やたらとめんどくさい割に得られる情報がたいした意味をもたないということに気がついて、やめました。とりあえず、川内村と小鹿野町については、調査結果を発表しておきます。
川内村のナンバープレートを付けたトライアルマシンは2台。軽いナンバーを用意する必要はないと思われますが、小鹿野町のみなさんは、そんなわけでトライアルに適したナンバープレートを発行してもらっているのだから、ありがたく思ってくださいね。埼玉県小鹿野町では、オートバイによるまちおこし事業も展開してます。こちらもご注目ください。
小鹿野町ナンバーは、ほんとは返さなきゃいけないだろうけど、小鹿野町に暮らした記念としてかざらせてもらおうっと。
投稿者 nishimaki : 12:20 | コメント (0) | トラックバック
2007年12月22日
枝打ち教室
枝打ち教室ってのに行ってきた。これにいったからといって、枝打ちや伐採の職人になれるわけではないけど、枝なんてぶちぶち切ればいいんだろうと思っている素人は、ちゃんとお勉強したほうがいいと思ったのでした。さらに欲を出せば、山奥の植林地の枝打ちにオートバイに乗ってでかけられれば、ぼくらにとっては一石二鳥になるのではないかというもくろみもある。オートバイが野や山から締め出されるのは、意識的にしろ結果的にしろ、野や山のためになることを、ひとっつもやってないからじゃないかなと。
さてこの日、教材になってくれるのは植林して放置されているヒノキと、育ち放題に育ってしまったモミの木だった。手ほどきしてくれながら山を歩いてくれたのは、林業指導所の指導員の方だった。
枝打ちってのは、いらない枝を切ってやることだ。 枝には、必要な枝も不要な枝もあるようで、教えてもらったのは「力枝」ってやつだ。木を横から見ると、枝ぶりを三角形に整えるのが枝打ちで、その底辺の枝を力枝っていうらしい。意味はわかんないけど、上の枝を支えているように見えるじゃないか。枝打ちをさぼっていると、三角形の下側にも古い枝が残って、菱形になってくる。これがよろしくないのだそうで、力枝の下側の部分の枝を切ってやる。まぁ、床屋さんのようなもんだ。
枝の根本、幹から、ちょっとかさぶたみたいになっているところから、のこぎりで切る。達人がやると、のこぎりでぎりぎりやるより、ナタなどですぱっとやったほうが切り口が鮮やかで、しかも簡単ということになるんだが、素人がやると皮をよけいにはいでしまったりしてろくなことがないので、のこぎりでていねいにやっていくべしということだ。
重たい枝を、最初から根本で切ると、枝の重みで最後にべきべきと折れたりする。そうすると皮が剥けてしまったりするので、最初に根本から30cmくらいのところでいったん切って、それから根本で切断してやるという二度手間をすると、なおよろしい。枝がなくなればいいじゃないかということではない。人間の体を切り取るのも、手術で悪いところをとるのと、爆弾で吹っ飛ばすのとではまるでちがうのとおんなじだ。
高いところの作業は、安全帯を使うこと。職人さんたちはめんどくさいからそのまま登ってるけど、安全対策はセオリーですね。トライアルをするときはヘルメットをかぶりましょう、というのとおんなじ。
枝打ちは、幹まわりが6cmくらいの頃にはじめるのがよろしいそうだ。それ以下だと、枝がいっぱいあって光合成をしたほうがいいお年頃だったりする。あんまり太くなると、せっかく枝打ちをしても、もはや節が残ってしまうという事態になる。
枝打ちってのは、まず価値の高い木を作るというのが大きな目的。まっすぐで、節のない木材が、価値の高い木。お金になる木を生産するために、枝打ちは不可欠なのだ。
今、木の生産地では、手入れをされない山があふれている。杉なんかは、上のほうの枯れ枝を落とすと、重みで下の枯れ枝も落ちてくるから、枝打ちはらくちん(比較的)だそうだが、ヒノキは枝がしっかりしているから、上から落ちてきた枯れ枝が途中でひっかかって下に落ちない。森が、どんどんくらくなって、地面に日が当たらない。そして、荒れた森になっていく。
手入れの方法は枝打ちだけじゃない。植林された苗木は、収穫時には、だいたい1割くらいになるんだそうだ。残りは病気になったり育ちが悪かったり、幹がぐんにゃり曲がってしまったりして、商品にならなくなったもの。そういうのを伐採していくことで、森が明るさを保って、残った木が元気に育つ。元気に育った木は、高く売れる(といっても、ほんとにたいしたことはない)というわけだ。
とはいっても、だめな木を伐採していって、まったく空き地にしてしまうのもダメらしい。適度に木が残っている必要があるから、その場合は、ちょっとだめな木でも、そこに立ってる価値がある。
曲がった木や、枝打ちをされないままに太くなってしまった木も、曲がった先からは商品になるかもしれないし、枝打ちをすることによって発育を抑制しててきとうな太さのまま、存在できることになるので、どんな木に対しても、枝打ちしないよりしたほうがいいということだ。
でも。
枝打ちは、どんな植林地に対してもやったほうがいいのだけど、勝手にやっていいというものではない。当然だよね。なので、植林の持ち主とのコミュニケーションは不可欠になる。
枝打ちついでに、木にとって大きなダメージとなるのはどんなことか、聞いてみた。それがわかっていれば、森を走っていて、木に与えるダメージを考えることができるから。
「幹の全周を傷つけると、木は立ち枯れします。でもちょっと傷つけるくらいなら、ダメージがないとはいわないが、幹の皮の他の部分を使って、養分はいきわたる。根っこも1本傷つけられたら影響はあるけど、何本も根を生やしているから、現実的には問題ないはず」
トライアル場では、木の生死にかかわるような環境変化が起こっていることもあるけど(木の根のまわりが、ターンの練習ですっかり削れてしまっていたり)、森を散策する限りでは、木への影響はそんなになさそう。
「でもね、それは生き物としての木への影響であって、植林した木は商品ですから、幹に傷をつければ商品価値が落ちる。根に傷をつければ発育に影響が出て、それで商品価値が落ちるかもしれない。なにより、植林地は個人の山ですから、持ち主がどう思うかという感情的な問題は残ります」
ぼくらがオートバイに乗って遊ぶことを、自然破壊とくくられることは多いけれど、実は日本には自然のまま放置されているところなんてほとんどなくて、たいていは人の手が入っている。
枝打ちをさせてもらうにしても、オートバイで走らせてもらうにしても、まず、人間と人間がふれあうことを忘れちゃいけないですね。あたりまえのことだけど。
投稿者 nishimaki : 09:32 | コメント (1) | トラックバック
2007年11月14日
同窓会
私事ですが(日記なんだから、それでいいじゃんね)このところ同窓会づいてます。小学校の同窓会に続いて、高校の同窓会に行ってきた。全員同い年という共通点はあれど、小学校の同窓会は親戚の甥っ子姪っ子に会うような感じ。高校の同窓会は(当時の関係がどうで、そしてぼくがまったくもてなかったとしても)初恋の思い出との再会の場となる感じで、趣がちがう。小中高一貫教育なんかで育った人は、このコントラストが味わえないわけですね。かわいそうに。
学校の同窓会はこのふたつだけだけど、考えてみると、四十雀トライアルにでかけたのも同窓会みたいなもんだ。あれこそ究極の同窓会かもしれない。なんせ戦艦武蔵の沈没から生還した人もいるくらいの強者ぞろいだけど、若造としては、そんなお仲間に入れてもらえるのもうれしい。同窓会も、同級生だけじゃなく全体の部に参加したら、四十雀のノリになってくるんだろうけど、残念ながらいまだ参加したことはない。尊敬する和田誠さんが先輩だし、同窓の集いには興味はあるんだけど。
さてさてしかし、30年ぶりに出会う人に今のニシマキを解説するのは至難でした。自然山通信の使命と存在を解説するのもむずかしい。トライアルについて10人にひとりが知っているのが幸いといえば幸いだった。どこから聞いたのか、ニシマキはずっと砂漠に行きっぱなしだと思っているのもいた。そんな人には、ぼくが行きはじめた頃のぎりぎり冒険の香りのあったパリダカと、その後のコマーシャリズムをバックボーンとしたシステマチックなパリダカとのちがいを説明しなければいけなくなる(ぼくはそのコマーシャリズムからドロップアウトした。と書くとかっこいいな。あらゆるところからドロップアウトしているのがぼくの歴史です)。
パリダカの話、サハラのど真ん中でクルマを壊した話、一夜明けてそこから出てきた話、世界20カ国の仲間とジャングルで泥遊びをする話。誰に話をしたのかは忘れちゃったけど、こういう話はまじめに生活されているみなさんにはさぞ縁遠かったことでしょう。日記に書いた、鈴鹿サーキットはつきつめるとオフロードコースだという話に興味を持ってくれた人も(ほんの少し)いた。
こういう話は、みんなぼくの経験談だけど、何度か話をしているうちに、自分の経験を話しているのではなく、過去に話したシナリオをなぞるようになってくる。講演てのはもうかるらしいけど(一度だけ、赤面もののやつをやったことあるけど、いくらもらったかは忘れた)講演が商売になったら、シナリオを何本持っているかが勝負になるんでしょうね。
でもやっぱり面と向かってお話するときには、シナリオではなく実際のシーンを思い出して語りたい。砂漠やジャングル三昧をしていた日々からも、もう20年前後の月日が流れるので、だいぶ記憶もあやしい。若い頃は、事実をそのまま記録すりゃいいのに、歴史の研究ってのはどうしてこうもいろんな異説が出てくるものかと思ったけど、自分史でさえあやしいのだから、歴史があやしいのも当然でしょう。時間の流れとは、そういうものだ、きっと。
ぼくらは商売で過去の事例を語っている。特に写真は、未来の映像は撮りようがない。すべて過去を振り返るめめしい商売が、ぼくらの仕事だ。その取材対象である選手たちは、過去のことを振り返るのは得意ではないし、好きじゃない人が多い。彼らの頭の中は、近い未来に自分が勝利を得ることばかりが渦巻いていて、終わった試合は終わったことだ。そういう人たちと話をして、過去の成功や失敗を聞きだして思い出話を綴る因果な商売をずっとやってきた。
いやいや、ライダーが過去の話に無頓着かというと、そうとばかりはいいきれない。語るのは苦手なのに、書いたものを発表すると「あの場面とこの場面は反対だった」なんてつっこみをしてきたりする。イタリアとフランスのどっちだったかは覚えていなくても、登りそこねた岩のかたちは正確に覚えていたりする。これは職業柄なんだろうね。小学校の同級生の歯医者は、顔や形をいわれてもわからん、思い出させるなら歯型を見せろと言ってた。記憶を引きだすトリガーには、いろんなものがある。
同窓会のみなさんには、自然山の読者やトライアル愛好者はいなかったけど、いろんな旧友に「日記を読んでる」と言われました。お恥ずかしい。しかしありがとう。されどトライアル仲間のみなさんには「読んでる」なんて言われたことはほとんどない。これは読んでないということなのか(さびしい)、空気のような存在なのでいまさら報告はしないということなのか、どっちだろう。
豚もおだてりゃ木に登るので、読者がいると思うと、日記を書こうとがんばれます。ほめて育てるというのは、トライアルに限らず、いろんな選手とコーチの関係を見ても重要です。同窓会にいって、ちょっと豚になったニシマキでした。
写真は、例によってなにも関係ない、東北道か常磐道のパーキングエリアにあった庭園。抹茶が飲みたくなりました。
投稿者 nishimaki : 10:57 | コメント (2) | トラックバック
2007年09月24日
献上米の収穫
村人となって2ヶ月になる。この間、おもしろいことや楽しいことや泣きそうなことなど、いろいろあったけど、まぁなんとか生きてます。仕事もなんとかやってます。
で、この24日月曜日、稲刈りに行ってきました。ただの稲刈りじゃない。天皇陛下に食べていただくお米の収穫です。村でアイガモによるお米作りをしている秋元美誉(よしたか)さんが、天皇献上米の生産者に選ばれて、5月から大事に稲を育ててきた。今日はその収穫の日だ。
田植えは5月27日におこなわれた。その日は全日本の近畿大会の日だったので、ぼくは猪名川にいた。でも稲刈りのこの日は、全日本はない。ほんとうはベルギーで世界選手権最終戦があったんだけど、稲刈りを知ってか知らずか、中止になった。おかげさまで、ぼくも稲刈りの儀に参加することができたのでした。
ずらり並んだ早乙女のみなさん(早乙女ってのは人の名前じゃなくて、田植えをする女、という意味らしい。田植え? 今日は稲刈りじゃないかと思ったけど、同一人物がやるんだから、稲刈りをするのも早乙女でいいのかもしれません)御刈女のみなさんの稲刈りを見物したあと、集まった村びとたちもいっしょに稲刈りをしました。田植えも村の人がみんなでやりました。美誉さんは「10月には天皇陛下にお米を届けにいってきますが、もしお声がかかることがあったら、この米は村人みんなで田植えをし、みんなで稲刈りをしたものだということを伝えてきたい」とごあいさつ。おれなんかが刈っちゃっていいのかなと遠慮しようかとも思ったけど「ほれ」と背中を押されて田んぼにはいってきました。
お神酒をいただいてから田んぼに入るべしということで、お神酒はいただきました。で、刈ります。ぼくはナイフとフォークを逆さに持つので、鎌も左手で使います。でも左手で使うようにはできてないんですね。右手で刈った方がスパッと気持ちよく刈れる。ぼくはポリシーのないサウスポーだから、そうとわかればさっさと右手を使います。
30人くらいが参加したんだろうか、もっといたかもしれない。さくさくと、気持ちよく刈られていって、1時間ほどできれいに稲架にかけられた。
なんだか、おこぼれでこっちまで清らかになった気がする。ありがとうございました。
ところで、稲刈りには、TY-Sででかけていきました。長靴を履いていこうかとも思ったけど、ゴム底の長靴で乗ると、底に穴が開きそうなのでブーツを履いていった。ぼくが刈ったお米はほんの少しだけど、もしかしたら天皇陛下には、トライアルブーツで稲刈りされたお米を食べていただくことになるかもしれないのでした。天皇献上米を刈り取ったときに履いていた(ニシマキの)トライアルブーツを拝みたい人は、今度会ったときにお申し出ください(そんな人はいないか)。
投稿者 nishimaki : 10:54 | コメント (1) | トラックバック
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